文献調査の重要性

 論文や特許などの文献は、10ページほどであれば約2時間で読めました。英語はあまり得意ではないので、英文だと1日がかりで読みました。1日8時間の研究時間が確保できれば、日本語の論文と英語の論文の平均で、1日で2報読めることになります。

 では、これらの文献を執筆した方が費やした時間は、どのぐらいになるでしょう。効率のいい研究者でも、調査に2週間、実験計画に1週間、実験に4週間、データまとめに1週間、論文執筆に2週間ぐらいはかかると思います。そして、企業内研究者にとっては必須ともいえる特許執筆にも、2週間ほどの時間が必要です。これらを合わせれば12週間、約3ヶ月です。

 しかし、これは効率よく研究できる人が、研究以外は何もせずに行った場合であって、通常は日常の雑事に同じぐらいの時間を要します。ですから、私の経験では、研究業務とその他の業務はだいたい半々でしたので、論文執筆はどんなに急いでも、半年に1報が限界でした。

 大学等、公的機関の研究者は研究だけに没頭できると思う方もおられると思いますが、私がお付き合いしていた大学の研究者の方々も、学生の教育の時間とか、学会への貢献などに、かなりの時間を割かれておられるようです。どのような立場の研究者も、自身で論文を執筆できるのは、半年に1報程度と考えられます。

 

 文献を読むことに戻ります。論文を執筆する方は、約半年すなわちおおよそ24週で1報です。一方、読む方は1日2報だとすると、1週間で10報です。こちらもずっと読んでいるのは無理ですので、執筆者と同様に読める時間は就業時間の半分だけと仮定します。その結果、論文を書く人が1報提出する半年間で、論文を読む人は半年間を24週として240報の論文を読めます。特許に関してもほぼ同じことが言えるでしょう。

 このことは、自身で実験をして結論を論文にまとめるよりも、論文を読んだ方が、240倍の速さで新しい知識を仕入れられるということを示しています。

 以上のことから、とにかく関連技術の文献を大量に読んで、それらに記載のない実験だけを実行するということが、効率よく研究するための絶対条件だということです。

 

 私が新人の頃の1980年代は、論文や特許を検索したり、取り寄せたりするのに、かなりの費用がかかりました。オンライン検索だと1時間で100件ほどの検索結果を入手するのに5万円ぐらいかかったような気がします。この頃の研究費は一人当たり月10万円でしたから、文献調査をするとその月の研究費がなくなってしまうほど高価でした。文献検索も同じくらいの費用がかかりました。

 それでも文献調査を続けたのは、前に書いたように、自分で実験して結果を出すよりも、240倍の速さで新しい事実を知ることができると確信していたからです。

それが1990年ごろから、米国の特許がオンラインで無料で検索とダウンロードができるようになって、安く、早く、大量に入手できるようになりました。日本の特許も2000年ごろまでには、かなりの期間の特許が無料で入手できるようになり、米国と日本の特許に関しては無料で大量のデータを入手できるようになり、特許調査の効率は格段に向上しました。また、文献に関しても、オンラインで無料で入手できるものも以前よりはずっと多くなりました。有料の文献でもAbstractだけは無料で入手できますから、重要と思われる順に予算の許すかぎり入手すればいいと思います。

 

 文献調査は新しい研究分野に入ったばかりの頃は、その分野でどのようなことがやられているかを知るために行います。しかし、数年経って同じ分野での研究が進んでくると、どのようなことがやられてないかを調査するようになります。自分がやるべき実験を探すためです。すでにやられている実験を追試するのは、中学や高校の授業の化学実験だけです。民間でも公的機関でも、研究者は今まで誰もやったことがない実験を探します。自分が世界で初めてやった実験の結果でないと、特許にもなりませんし、論文誌にも掲載されません。

 自分で考えた一連の実験を終えて、データをまとめた結果、納得できる成果が得られたとします。次にやることは論文と特許の執筆です。論文でも特許でも、前書きに先行技術の調査結果を書く必要があります。特に特許では、それがないと特許庁が受理してくれないこともあります。そこで、自分のやった実験の結果からキーワードを選択して検索します。検索結果はどうでしょうか。万一、検索して入手した文献の中に、ほぼ同じ結果が記載されていたら、実験をやっていた半年間は何もしていなかったことと同じになります。その文献を予め入手して読んでいれば、半年間かかった実験の結果を、僅か半日で知ることができたはずです。

 

 先行技術調査を十分にやった場合でも、半年から1年の実験が無駄になることもあります。実際に私が経験したことです。一連の実験を行う前に、論文と特許を正味2週間ほどかけて十分に調査しました。その結果、私が考えた実験は誰もやっていないことが分かりました。そして約半年が過ぎ、満足できる結果が得られたので、論文や特許の執筆のために、改めて調査しました。するとどうでしょう、私が行った実験とほぼ同じ内容の実験結果が、論文にも特許にも見つかりました。特許は出願から1年から2年経って公開されますので、私が最初に調査したときにはすでに出願されていた特許があったのです。それが私が実験をしている間に公開になって、検索にかかったということです。そして論文も同じことです。一般に民間企業では、特許を重視するので、論文は特許を出願してからしか投稿できません。この技術の特許と論文の研究者は同じでした。すなわち、この研究者が一連の結果を出した後、まず特許を出願しました。次に同様の内容の論文を論文誌に投稿しました。論文誌には審査がありますので、掲載されるまでには、3か月から1年かかります。これが特許とほぼ同じ時期に公開された理由です。

 こうして、私は特許出願も論文投稿も諦め、半年間が無駄になりました。それからは実験を中心に進めているときでも、月に1回ぐらいの頻度で、期間を直近3か月ぐらいに絞って簡単な調査をするようになりました。